体重45キロのガリガリアパレル店長だった男がなぜ土木作業員になったのか!

お前は誰からも好かれない

能力の低い人間だ

社会人一年目で心身共に限界まで頑張っていたときに社長から言われた言葉です。

なんとか認めてもらおうと必死でしたが、なにもかもうまくいきませんでした。

ダメ人間の烙印を押され、命を断つことさえ考えた。

そんな男がその後、

アパレルで1億円売る店の店長になり

ネットビジネスの収益が本業を超え

今では運命的な出会いを果たし、ワクワクを求めて土木業界に転職!

村づくりのプロジェクトに関わりながら社長を目指して奮闘中です。

幼少期からどこにいても息苦しさや違和感を感じていた男がある人物との出会いで劇的に変わるまでのストーリーです

目次

しゃんのスペック

しゃんのすがた
名前しゃん
職業アパレル店長 ➡ 土木会社幹部
好きゲーム 釣り DTM DIY 動画編集 アクアリウム
年齢30代
性別
生息地横浜
家族妻 長男 次男

苦しみ続けた社会不適合者の半生を告白します

1985年 東京の病院で爆誕

建築関係の会社に勤める両親のもと入園までは東京都の狛江市で育ちました。

よく喋る子供で周囲から

口から生まれた子だ

と言われていました。

幼稚園入園前に横浜へ引っ越し

幼稚園では初日から母親と離されるのが嫌で一歩も動かんと大号泣して先生を困らせました。

社長にでもなるか

母親の弟が輸入雑貨や洋服を販売する会社の社長でした。

おじさん

しゃんは将来社長になれ

と言って親にはダメと言われていたコーラやチョコをくれるので、おじさんを崇拝していました。

今思えば完全に餌付けですね(笑)

おじさんもこう言ってるし自分は社長になるんだなと思っていました。

【中学時代】記憶から消し去りたい恐怖の学校生活

遠い学校まで通うことになると知って親の説得虚しく塾通いをやめて受験を断固拒否。

進学した公立中学校は家から徒歩5分で「近くてサイコー」と思っていましたが

今思えばこれが間違いの始まりでした、、、

当時学校がめちゃくちゃ荒れていて3年のセンパイたちはヤンキー漫画の登場人物のよう。

ズボンからシャツを出していいのは3年だけという謎ルールがあって

シャツを出しているだけですれ違いざまに殴られたりと1年は恐怖に怯えていました。

サッカー部がないだと?

サッカー部に入部するつもりがグラウンドが狭くてサッカー部がないことが判明し、

一応運動はしようと思いソフトテニス部に入部することになります。

顧問の先生がボコボコにされて入院したり、
防風用のネットで囲んだスペースで先輩同士のバトルが勃発したりとまるで地獄絵図。

休みの日も練習して県大会まで進んだ結果、関東の練習会に呼ばれたことも。

しかし関東の練習会では長身のゴリマッチョたちに試合でフルボッコにされて撃沈。

間違えて高校生の大会にきたのかと思うほどの衝撃でした。

はじめてのホームページ

この頃WEBデザインに興味をもち無料のホームページスペース「Yahooジオシティーズ」をいじっていました。

ホームページビルダーというソフトで装飾した文字をアップロードするだけで感動したのを覚えています。

なんでも試行錯誤しながらできるまでやるのが好きだったんですよね。

隠キャでも陽キャでもない孤独な変人

幼少の頃から「みんなと一緒」みたいな空気が大の苦手でした。

群れず媚びずで己以外の誰にも従わなかったため特にヤンキー男子からのウケが悪かったです。

トイレのホウキでボコボコにされたり、校庭でドロップキックされたりイジメられたことも。

殴られて帰宅したあと布団をかぶって悔し泣きしながら

しゃん

許して忘れるのです

当時読んでいた漫画「ぼのぼの」に出てくるシマリスくんの兄の言葉をつぶやいていました、、、

【高校時代】もしかして俺って凡人なのか、、、

小中学校まではあまり勉強で苦労したことはなかったのですが、

高校生になると数学や物理などで公式を覚えないと解けない問題が出てきますよね。

その結果、急激に勉強することが面白くなくなってしまいました。

そのくせ周囲には

しゃん

俺は社長になる男だから大丈夫

などと調子に乗った痛い発言を繰り返し
授業を抜け出しては公園でサッカーをしたりカラオケに行ったりしたりしていました。

気づけば学校にいると

ともだち

今日はいるじゃん!

といわれる始末。

まるでメタルスライムのような存在になっていました。

禁断のネトゲと出会ってしまう

好き勝手やってるところさらに友人からネトゲに誘われてどハマりしてしまいます。

ウルティマオンラインにはじまり、ガディウス、ラグナロク、そしてリネージュという流れでプレイした結果、、、

高校への出現率はメタルスライムからはぐれメタル状態に。

リネージュでは君主をしていてクランでオフ会をしたりドラゴン討伐オフに参加したりやたらと積極的でした。

今思えばガリガリのフツメンがカフェで年上の方々に「王子」と呼ばれる光景は異様だったと思います。

アフィリエイトとの出会い

同時期にネトゲを教えてくれた悪友とアフィリエイトを始めていました。

今では当たり前になった対話形式の解説サイトを作って小遣い稼ぎをしていましたね。

やればやるほど結果に反映されるのが面白くてゲームと同じくらいハマっていきます。

そんなこんなで高校は一部教科の出席日数がギリギリで補習をこなすことに。

プールの補習で遠泳くらい泳いだり、先生たちとフットサルをしたのは良い思い出です。

【大学時代】美大に進学しようと思ったら、、、

補習をこなし無事に卒業できることになったので大学入試までの数ヶ月だけはと勉強をはじめます。

美術が好きだったので美大に行く気マンマンでしたが、デッサンの他に学力も必要だと知り手遅れという事実を突きつけられます。

しゃん

じゃあ社長になるために経営を学ぶか!

ということで、なんとか四年制大学の経営学部に合格。

しかし入学後は「何もやりたくない」という無気力な状態に。

高ランクの大学ではなかったので民度はお察しといった感じで
チャラチャラしたサークルやゼミなどにもまったく馴染めず。

大学生らしいこともせず自堕落な日々を過ごしていました。

せっかく決まった内定を辞退

お察しの通り就活にも熱心には取り組んでいませんでした。

合同説明会の会場に足を運んだものの企業のブースではなく
喫煙所で時間を潰すというダメっぷり。

しかし喫煙所で世間話をして盛り上がったおじさんが
とある企業の関東人事部長さんという幸運に恵まれた結果、

4年の夏には某薬局にまさかの内定。

にもかかわらず、デザインの仕事をやりたくて内定を辞退。

美大には行けなかったけど、デザインがやりたかったしゃんは
当時の彼女の父親のコネで小さな印刷会社へ入社することに。

はじめての彼女とゴールイン?

彼女とはなんだかんだで入学直後から卒業間際まで付き合っていて

その結果、卒業前に彼女の父親から

父上

卒業したらお金は出すから結婚式をしなさい

といわれました。しかし、そもそも結婚願望がなかったので

しゃん

自分の力で養えるようになってからにしたい

と伝えてすぐには結婚しないことを伝えました。

今思えば有難い話だったのかもしれませんが、
他人にレールを敷かれる人生を選ぶにはまだ若すぎました。

【新卒時代】卒業後に就職したのは真っ黒な、、、

結婚を断ったのもあって彼女には卒業と同時にフラれ、、、
入社時には元お父様とも超絶微妙な関係に!

入社後は研修などはなく、

社長

初年度は1億円売上作って

と言われ自転車を与えられました。

交通費の支給がなかったので自転車で走り回ってあらゆる雑用をこなす日々。

辛かったエピソードは山ほどありますが、

ある日社長に

社長

気合いが足りないから明日坊主にしてこい

といわれ、終電で帰宅したあと夜中に野球部だった弟のバリカンで頭を丸めました。

翌日出勤すると、、、

社長

なんでスーツに坊主なんだ!怖いだろ!

と一蹴されたのでむしろ社長の記憶が大丈夫なのか心配になりました。

泣きながら爆走するスーツ姿のガリガリ坊主を見たことがあったら当時の僕かもしれません。

心と体がぶっ壊れて人生終了?

結果を出そうと始発終電で会社に通いがむしゃらに行動しましたが、
今でいうパワハラモラハラの連続で徐々に心身が蝕まれていきました。

既にタバコを吸っているのにもう一本火をつけて吸おうとしたり、
常にのぼせたような状態で電車でシャワーを浴びたかのように汗が出たり

最初のやる気と反比例するように頭も体もまいってしまっていました。

当時は駅のホームで何度か

しゃん

飛び込んでしまえば苦しみから解放される

と思ったこともありましたが、その度に家族の顔が浮かんで踏みとどまりました。

【退職無職】自転車で横浜から仙台へ

周囲のすすめで心療内科に行ってみると、
環境が原因だからと職場から離れることを勧められます。

逃げるのは負けだし絶対にやめないと思っていましたが、
周囲からの説得もあって退職を決めました。

やめた直後は実家で食べて寝るだけの生活が続くことに。

しゃん

このままじゃ社会に戻れなくなる

と思い何かきっかけの欲しかった当時の僕は
毎年帰省している仙台に自転車で行くことを決意します。

しゃん母

いきなり仙台なんて絶対に無理

と最初は反対されましたが決意は固まっていたので

・物置に眠っていた親父のお古のマウンテンバイク
・無理やり取り付けたロードバイクのホイール
・パンク対策にスペアのタイヤと修理セット
・最低限の荷物を入れた防水のかばん

という超心許ない装備で大した準備もせず自宅を出発。

都心まで走った時点で、、、

横浜から出発して東京タワーが見える頃には尻の感覚が消え失せて
400キロ走るなんてとんでもないと感じていました。

最初のうちは途中で止まったら車で拾ってもらえばいいと思ってました。

ダメ元で行けるところまで行こうという気持ちで国道6号をひたすら北上。

イヤホンでガンガンに音楽を流し、
人気のないところでは叫ぶように歌いながら爆走しました。

1日目で茨城県土浦へ

2日目で茨城県を抜け

3日目はまるまる福島

途中からはただやり遂げた時の達成感を味わいたくて無心で走り続けました。

1日平均100キロペースで走り続けた4日目、
ついに祖父母の家にたどり着きます。

心配させると思って祖父母には内緒で出発したため、
庭にいた僕が自転車で走ってきたと知ると二人とも仰天していました。

この時あることに気づきます。

周りが無理だといっても自分がやれると決めてやったことはやれるということ。

【アパレル】みんなにイジられるドS男

帰省から戻ったあと何かに目覚めたしゃんは、
すぐハローワークの就職セミナーに参加して新しい仕事を探しはじめます。

大学時代にサービス接遇検定の資格を取得していたからか、
有難いことに大手アパレル企業から面接のお誘いが。

昔から服は好きでしたが自分が服屋で働くイメージはしていなかったです。

ただ早く仕事を再開したかったので面接をお願いすることに。

面接での一幕

面接官

女性は好きですか?

しゃん

はい!もちろんです!(食い気味に

面接官

子供も大丈夫?

しゃん

はい!大丈夫です!(多分

面接の結果は?

結果はまさかの合格!

昔から男子よりも女子と話すことが多い中性的キャラだったからか
女性服のブランドに配属されることになりました。

働きはじめて戸惑ったのは周りに女性しかいないため、
否応なしにいじられキャラになりました。

学生時代は自他共に認めるドSキャラで通っていたので
最初はいじられるとイライラしたりもしていました。

しかし、そのうち

しゃん

いじられるのもおいしいか

と思うようになってきて

飲み会でビールやラーメンをぶっかけられても
アカペラでB’zを歌えと言われても対応できるようになりました。

前職で自律神経がぶっ壊れていたので寒さを感じず
冬でもハーフパンツをはいて膝下を丸出しにしていたのもあって

周囲の女性たちから違った意味でキャーキャー言われてました。

特に目標もないくせに生意気なやつ

入社時の目標は社会復帰だったので、
将来のイメージも特になくただ働いているという感じでした。

当時はプライドだけ無駄に高かったのもあって、
納得できないことには上下関係なく反発するのは当たり前。

間違っていると思えば上司にも噛みつきまくっていたので、
確実に「こいつ面倒くさい」と思われていたでしょうね。

しゃん

結果を出し続ければ認めざるを得ないだろ

くらいの気持ちでやっていました。ものすごく生意気。

働き続けるうちにカリスマ性のある店長や熱い同世代との出会いもあり、
担当したブランドの売上を達成することに情熱を注ぐようになります。

禁断の社内恋愛

入社して数年後に当時働いていた店舗が契約満了で閉店することになって、
より売上規模の大きい千葉の店舗に異動することになります。

閉店間際になって同じ店舗にいた女性とイイ感じに。

出会ってすぐは目を合わせて挨拶もしてもらえなかったので、

しゃん

なんなんこいつ

くらいに思っていました。

そもそも店舗内恋愛なんて周りに気を遣わせるし、
ありえないと思っていました。

ただ過去一度も本気で人を好きという感覚がなかったので、
この人だという直感に素直に動けたのかもしれません。

その後は告白した次の日にフラれたあとに逆告白

みたいなわけのわからない展開から付き合うことになりました。

新天地でフロアリーダーに

新店舗ではフロアリーダーに任命されました。

毎日横浜からディズニーランドの向こう側まで通勤することに。

どっぷり疲れているときにでっかい耳をつけたまま騒ぐやつは

しゃん

その耳引っこ抜いたろか

くらいに思っていました。

他人の幸せを喜ぶ余裕がなかったんですね。

途中からは実家を出てはじめての一人暮らしも体験することに。

アパレル店員なのに貧乏すぎてパンツと靴下くらいしか買えず、
ガリガリっぷりにも磨きがかかって修行僧のような時期でした。

正月は初売りの連勤で家族や親戚にも会いにいけず、
ホームシックと忙しすぎのダブルパンチで無意識に涙が、、、

振り返れば良い経験でしたが当時は寂しかったです。

店長になって凱旋が決定!ところが…

一年ほどしてからメンターと仰ぐ上司から話があると呼ばれ、

当時の店長

横浜の店舗で店長にならないか

しゃん

やります!

ということでついに店長になることが決定しました。

実はこの少し前に彼女が

彼女の周囲

アパレルの彼氏じゃ将来的に不安じゃない?

と言われて悩んでいると知っていたので、
打診を即受けしたというわけです。

これは喜んでもらえるぞと彼女に電話で報告してみると
なぜか「そうなんだ…」そっけない返事が。

そしてこの直後に彼女から別れを告げられることに…

仕事の休憩中にビックマックを食べている最中のことで、
詳しい理由も聞けないままの別れになりました。

当時のしゃんは

しゃん

誰のために店長になったと思ってんだよ

と怒りと悲しみでかなり荒れました。

帰宅するとやめていたタバコに火をつけベランダで号泣しました。

職場では気丈に振る舞っていたつもりでしたが、

何かを悟った年下の女の子たちに私でよければ相談に乗りますと
気を遣われるほどにダサダサのボロボロでした。

今思えば当時の自分は彼女の理想の彼氏像を目指して
男としてブレブレだったのでこれはもうしょうがない。

それを彼女は見抜いていたんでしょうね。

【店長時代】すべてを失った男は再起できるのか

いよいよ念願の店長になったわけですが、気分は最低最悪。

彼女の将来の不安を打ち消そうと店長になったのに
彼女にフラレたら店長になった意味がない。

まるで生きる意味を失った亡霊のような状態でした。

千葉から横浜に戻るのに一人暮らしの賃貸も解約して
一度実家に帰ることに決めました。

マンションのカギを彼女に渡したままだったので、
期日までに返してほしいとだけお願いしました。

このカギだけが彼女との最後のつながり…

そんなことを考えてるバカで女々しい男でした。

期日前に彼女から封筒が届く

そこに入っていたのはカギではなくお別れの手紙でした。

これまでの感謝が綴られていて
色々なことを思い返して涙して読みました。

久々に連絡するとカギは後日直接渡すとのこと…

どの面下げて会えばいいのかわかりませんでした。

雨の海で…

しばらくして約束の日がきました。

天気はあいにくの雨。

人目につくところで話すのも気が引けたので、
車で海を目指しながら話をしました。

人生で初めて本気で好きになった人との時間が
これで最後と思うと複雑でした。

気まずい雰囲気のまま海に到着。

傘をさして砂浜へ。

最後に感謝の気持ちを伝えると
急に風がふき雨がやみ青空が…

すると彼女から一言

彼女

やっぱりしゃんが好き…

あまりのことに言葉が出ませんでした。

彼女が覚悟を決めてくれたんだから、
自分もこの人を絶対に幸せにしよう。

そう心に誓った日になりました。

彼女の理想に合わせるのではなく、
ブレずに筋を通して生きていった結果が彼女の理想と重なればいい。

という考えに変わり自分の中に柱ができたような感覚がありました。

店長としての日々

断固たる決意の効果か、配属時の売上は年間7500万円ほどでしたが、
4年後には1億円に到達する勢いの店舗に進化していました。

その間には無事に彼女と結婚。子宝にも恵まれました。

お客様と仲間に恵まれ売上を伸ばし続けていたために
上司からも実力以上に評価してもらっていました。

運も味方して飛び級で昇進したのもあって
収入もアパレル店員にしてはそれなりにもらっていました。

長くなるので別の投稿にまとめようと思いますが、

家族を経済的に不安にさせないために副業の勉強もして
ネットビジネスで本業以上の収入を得ていた時期もあり、

側からみれば順風満帆な状態だったと思います。

【店長卒業】新たなステージでの挑戦へ

順調な日々を送る中で、心の中にある疑問がわいてきました。

しゃん

今やっていることは
一生続けたいことなのか?

自分の中で葛藤が生まれていました。

スタッフ一人ひとりをマネジメントしてチームビルディングすることは楽しい。

ただ心のどこかで自分自身の力でどこまでたどり着けるのか試してみたいという気持ちがありました。

きっかけはネットゲーム配信だった

そんなある日、昔どハマりしていたネットゲーム「リネージュ」のスマホ版がリリースされました。

どんなもんかとYouTubeを検索してみると、、、

とんでもない勢いで課金してあっという間にサーバーでトップに駆け上がっていくプレーヤーを発見!

何度かライブ配信を視聴するうちに会社を経営してガッツリ稼いでいる方だと判明。

ゲームへの本気度や人としての圧倒的な強さに衝撃を受けました。

偶然見た人生相談ライブ配信

上記の方のライブ配信で何度も名前が出てくる人物がいて、
気になってその方のライブも見にいった結果…

偶然にも配信中の機材トラブルでゲーム画面が映らず、急遽ゲームではなく人生相談ライブをしていました。

そこでまたもや大きな衝撃を受けることに。

まるで自分がなりたかった理想の人物像が現実に降臨したかのようでした。

幼少の頃は自分は天才で社長になると思っていたのに

今や普通のサラリーマン…

もし自分の夢や想いに対してもっと行動していたら…
この人のような人物になりたかった。と思いました。

これまでの人生で出会ったことがない
これからの人生で出会えるかわからない

直感でそう感じました。

この方の正体は…

実はこの方、

複数の企業の経営者。しかもグループの会長とのこと。

なんとかしてこの方から直接学ぶ機会を得たいと思い
Twitterをさかのぼってチェックしました。

すると以前に配送業の社員を募集していることが判明!

募集要項を見ると配送の仕事は独身向けのようでした。

なんとかならないか考えていた矢先、今度は土木の作業員の募集が!

しかも村を作るという特典つき。

いつかリアルでマイクラ生活したいと思っていたので
またとないチャンスだと思いました。

会長と社長と代表に会える?

しかしこの時の体が身長169センチで体重45キロ。

自分に肉体労働が向いてないのは承知の上で、
詳細を聞きたいとお願いをしました。

するとすぐに土木の代表を紹介してもらえることに。

後日土木の代表とLINEで電話をした結果、会長さんと直接会わせてもらえる流れに。

同時期に勤め先で社内メールがスタート。
これはと思いその日のうちに社長に自分の思いの丈を返信しました。

すると後日まさかの事態が。

経営部の部長さんから店舗に電話があり、社長と面談をしてもらえることに。

ほぼ同じタイミングで自分の会社の社長と、憧れの人物である会長と会えることに。
これにはさすがに見えざる力が働いてのことと感じざるを得ず。

決断のときは近いと思いながら過ごしました。

アパレルの社長と会った結果

社長との面談では人事部長も同席してくださりお二人から温かい言葉を頂けました。

ただ「いつまでにどれくらい何をすればどうなるのか」
という疑問は解消されませんでした。

これは大きな組織ゆえに致し方ないことであって、不満はなく納得できました。

そもそも数千人の販売員の中の一人に時間をとってもらえただけ有難いことでした。

会長と代表と会った結果

会長とはオフィスにお伺いして三人で話すことに。

会長と代表は初対面にも関わらず、
自分に期待を寄せてくれているように感じました。

億単位で稼いでいる方に会えること、
自分に時間を割いてくれていること、

人生の中でも貴重な経験になり有り難かったです。

印象的だったのは、
とにかく決断が早く具体的だったこと。

自分も精進して少しでも同じ景色を見ることができたら…

そんなワクワクを覚える時間になりました。

【再度転職】ついに土木作業員になるときが

自分に土木作業員が向いているかと聞かれたら、

正直まったく自信はありませんでした。

前述の通りガリガリということもあって

周りに土木作業員になろうと思っているとうちあけるとみんな驚きました。

心配して会社に残るよう説得もされました。

ただ向いているかは関係なく自分の心の中では会長や代表と関われる道を選択しようと決意していました。

最終的には会社の直属の上司にも有難いことに心配しながらも応援していただけました。

もちろんリスクについて忠告してくる人もいましたが、

自分は変化することよりも変化しないほうがリスクだと考えていました。

こうして僕はアパレルの店長から土木作業員になりました。

果たして自分は天才で社長になれる男なのか?

まさに今その答えを確かめるため挑戦の最中です。

やりたい事をやるのに遅すぎるなんてことはない。

何かを始める最高のタイミングはいつだって「今」なんだと思います。

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